縄文時代晩期つまり今から3000前~2300年前に、茨城県の土浦市近郊に縄文人が暮らしていて、その痕跡がいろいろ発掘されたんです。
ですが、文字が無かったため不明な点が多く🏺土器・竪穴住居などの痕跡で推定してますが、すること自体が浪漫(ロマン)ですね~。
今の世の中と違って、生きていくために衣食住の術を獲得するためには様々な危険が潜み、悲喜こもごもであったと創造します。(どんな生活をしていたんでしょうね。想像が膨らみますね。)
その場所は茨城県の「上高津貝塚ふるさと歴史の広場」です。縄文時代後・晩期の貝塚で、霞ヶ浦沿岸最大規模です。🏺土偶や土器、骨角器などが発掘されました。
敷地内の考古資料館には、🐚貝塚周辺から出土した縄文時代痕跡物が展示されています。「上高津ふるさと歴史の広場」では本物の貝塚の断面が、見やすくガラス越しに展示してありました。(🐚貝を沢山食べてたんですね~。)
また、竪穴式住居の復元(中にも入れます)や、廃棄土坑、縄文時代のお墓の復元など見ごたえありました。「考古資料館」では、たくさんの🐚貝殻や動物の🦴骨、🏺土器のかけらなどを見ることが出来ました。
現代生活と比較すると、電気もない・水道もない・車もない・信号もない・コンビニもないと言う訳で、大変不自由な生活だったのではないかと勝手に推測し、想像を膨らませていました。
(引用元について)
いろいろの遺跡物はろまんです。上高津貝塚ふるさと歴史の広場の下記urlを参照してください。
上高津貝塚ふるさと歴史の広場(考古資料館) | 土浦市公式ホームページ (tsuchiura.lg.jp)
ところがその食生活様式は、以降の稲作が開始され米を主食に定住化が進んだ弥生時代以降と異なり、🌰ドングリやクルミなどの木の実類55種類以上を食糧としたり、貝類や魚類の420種類以上を含め🦌シカや🐗イノシシなどの中・小型哺乳動物を捕らえて食糧にしていたらしいです。また、驚くことに調理の仕方は、生食で食べたり、煮たり焼いたりして食べたり、アク(タンニンなど)が含まれた物もあったので磨り潰したり切り分け処理してから土器に入れ熱湯で茹でて食べたり、いろいろ工夫をしていた様で、現代では広く知られている薬膳の食材類を沢山食べていた様です。
凄いですね~!!、次回は更に具体の食材などについて、その様子を見ていきます。(夫)