飯塚までの道すがら、春の草花の芽生えの薫りであったり、時折感じられる🌼沈丁花の芳香や河川敷付近での土手堤の🌸河津桜の薫りの流れが感じられ、沢山の春の息吹きに触れました。
さて、現地についたら、そこでは1400年以前の飯塚古墳群が林の中に在りました。(飯塚古墳群と記された)標石の立っていた「林道口」を見つけて立入り林道脇から覗くと、散在する杉木立の間から古墳と思しき小山の様な起伏が数か所有りました。
今までの古墳時代遺跡の発掘調査研究では、当時その地域を支配していた王や豪族(ごうぞく)が、死んだ後も自分の力を示すために、古墳を墓として造らせいたとの事ですが、築造工事の組織や人数などの規模及び工法・機械や人々が使う土運搬モッコや穴掘りシャベルなど、また作業を計画する者と作業する者の配置・人数、及び彼らが魚や野菜を煮炊きして食事している姿など、また豪族とは別に一般の人々は竪穴式住居も使っていた様である事など、衣食住生活を春の訪れのこの時期にどの様にしていたかなどに暫し考えを巡らせました。
また、稲作が主流であったとは言え、おかずは2月18日にアップした漢方食材(ドングリやクルミなどの堅果類を植林栽培し食糧を確保したり、貝や魚を川で捕らえたり、シカやイノシシなどの中・小型哺乳動物を弓矢などで狩猟・捕獲。)を摂っていたと思われ、それらを想像するとロマン(浪漫)でした。