ニュースで、縄文時代など古代には全国各地に沢山の貝塚が存在しその周辺には生活道具の土器などが埋まっていたので、現在当時の土器や破片の発掘調査が行われ、その破片遺跡から形状が復元されています。
【秋の夜長に、悠久の浪漫に想いを馳せるなら.....】
それらの遺跡土器の中には、遠く離れた場所だけども良く似た特徴的(ヒネリ模様が有ったり)な形状が見受けられます。
当時の縄文土器造りは、言葉の無い時代に後世に残る様なしっかりした一連の土器造り技術を継続するのに、誰でもが簡単に出来る技術ではないから、特殊な伝え方が有って成立したのでしょう。想像してみて下さい。
【ここらで一服.....】
例えば、ある優れた技術を持った土器作成者(陶工)が居たが、①その作成技術は何代(数千年)に亘る親から子や親族への口伝えやボンチ絵等を用いた技術継承を経て、徐々に作成手法が洗練されて来た。②さらにより優れた技術・原材料を求め、相互に野山や川の移動を行ったり、筏や丸太船等で河を移動をして、人的交流が広がり、技術が広がって行った。
なので、遠く離れた場所で、似た特徴的(ヒネリ模様が有ったり)模様や形状の土器が発掘される。
当時の夢を追い求める縄文人の心持ちがどのようなもので有ったか、動物を追い回している姿など生活ぶりを色々想像して、尽きないロマンと確証を得たい衝動を覚えました。
【吉野ケ里遺跡とか、三内丸山遺跡とか飛行機でひとっ飛び、じっくり遺跡探検したいですね。】